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生存に一筋の望みを託した家族のもとに、29日未明になっても朗報は届かなかった。イラクのバグダッド近郊で起きたフリージャーナリストの橋田信介さん(61)と、おいの小川功太郎さん(33)に対する銃撃事件。戦場で待ち受ける危険の数々を慎重にくぐり抜けてきたベテランは、なぜ事件に巻き込まれたのか。家族は絶望的な断片情報に「早く現地へ」と気をはやらせ、ジャーナリスト仲間も2人の安否を気遣った。
上京した橋田さんの妻幸子さん(50)と、小川さんの母で、橋田さんの妹でもある洋子さん(57)は28日午後6時過ぎから、滞在先の東京都内のホテルで記者会見に臨んだ。
「外務省からは2人が襲撃を受けて亡くなった。そういう報告を受けました。確認する材料がないが、状況としてそうだということでした」
「お騒がせして申し訳ありません」と切り出した後、幸子さんはしっかりした口調で説明した。
午前中、静岡県清水町の自宅前で「覚悟はできていた」と気丈に語った妻。しかし、会見場では目を真っ赤に潤ませ、ハンカチを目頭に当てて何度もまばたきを繰り返した。
「どんなご主人でしたか」と問われると、言葉を選ぶように「戦場に住む人々、普通の人々に対してとても優しい人でした」と語り、一息置いて「私たちにもそうでした」と続けた。
現地入りの予定を尋ねられると、「なるべく早く行きたい」と語った。
一方、洋子さんは「まだ、全然ぴんと来ていない。信じられないという感じです」と表情を変えずに語った。
洋子さんは、小川さんから「危ないのでなかなか外に出られない」と書いたメールを受け取っていたことを明かし、「すごくいちずな性格でした。仕事に情熱を燃やし始めていたのだと思います」と語った。
ホテルには、会見した2人のほかに、橋田さんの長男大介さん(22)と小川さんの父博さん(63)、弟修二さんも集まり、外務省からの連絡を待った。
◆「経験豊富な人なのに…」気遣う仲間◆
同じ時期にイラク戦争を現地で取材したジャーナリストの綿井健陽さん(32)は、日本大使館の関係者が2遺体を確認したと報じられた後も、「徹底的な事前取材を欠かさない慎重な人。経験も豊富だし、うまく難を逃れているような気がします」と語った。
綿井さんは先月下旬、バグダッドで橋田、小川さんの2人と会った。「間もなく帰国するが、また来る」。橋田さんはそう言っていた。
ノンフィクションライターの小野一光さん(37)は先月、日本人人質の身元引受人となったイラク人との会見で、橋田さんと同席した。「あれほど戦闘地域での取材経験が豊富な人なのに。信じられない」
フォトジャーナリスト久保田弘信さん(37)は、「戦争取材のベテランだった。予想外の襲撃だったのではないか」と声を落とした。
◆橋田さん、目にケガの少年を日本で治療計画◆
襲撃直前の27日午前、イラク南部サマワの陸自宿営地で2人と食事をしたフリーカメラマンの宮嶋茂樹さん(42)によると、橋田さんは戦闘に巻き込まれ左目をけがした少年を日本で治療させようと今回イラクを訪れた経緯を明かした。
宮嶋さんと橋田さんは10年来の付き合い。昨年春には、イラク戦争で空爆が続いていたバグダッドを一緒に取材した。この時、橋田さんは「ベトナム戦争のハノイのじゅうたん爆撃に比べれば、怖くない」と話していたという。
27日午後に宿営地を出た際、橋田さんは「6月1日には少年と帰国したい。バグダッドに直行する」と話し、急いでいる様子だったという。
◆呼び出し音鳴るだけの携帯電話◆
同日夜、東京のテレビ局から事件の一報を受けた宮嶋さんは、すぐに橋田さんの携帯に電話をしたが、呼び出し音が鳴るだけだった。「どこからか、元気に出てくることを願いたい」と宮嶋さんは話した。